長野 犀北館

どの町にも昔から古い宿屋があった。連綿と続く歴史の中で、さまざまなことがおき、消えていき、あるいは興隆し、あるいは伝説となっていったのだろう。古い町ほどそうだ。
善光寺の出自はよくわからない。日本に仏教が輸入される最初期の頃には宗派がなく、その頃のものだろうといわれている。浅草寺は今でこそ宗派に系列に入ってはいるが、善光寺と同じようなものではないのだろうか。いずれにせよ朝鮮半島からの直輸入である。
善光寺門前町は現役である。とげ抜き地蔵の比ではない。千年以上続く門前町だ。よく整備され古いものを残し、美しい商店街にしてある。頭が下がる商店街である。なかなかここまで整備された門前町は少ないのではないだろうか。銀閣寺に向かう三年坂とか柴又帝釈天とか、太宰府などと同等の町並みだ。
そういった町にある古いホテルが今日の宿。
宿の名前は近くに去来した芸術家の名前からとられたネーミングであろうし、バーの名前も著名な絵描きの名前からつけられており、又その絵描きのデザインによるステインドグラスがバーの装飾に使われるなど、ここのオーナーの文化的造詣の深さを感じることができる。チェイン店のホテルではこいういったことがないので、旅行をしている気分を盛り上げる。
バー、中華、洋食と三つのレストランを利用したが、いずれもきちんとしたものを供してくれた。特に中華が良かったと思うのだが、天井がドーム型になっており、遠くのカップルの話が丸聞こえになってしまい落ち着かなかったのは残念だった。
部屋は旧館と新館に分かれているが、なぜか旧館を予約しても新館を薦められ結局新館に入ることになったしまった。古いホテルらしく部屋も風情のあるものだった。

犀北館
http://saihokukan.com/lodging/information.php?c=1

京都国際ホテル

京都の宿はどこがいいのだろうと毎回思ってしまう。河原町辺りの中心地にはホテルは少ないし、広めのホテルは中心地から離れてしまう、といったジレンマのある地区の一つ。
このホテルは微妙な位置にある。二条城の東脇。地下鉄東西線「二条城前」の地上口のそばにある。ホームからは遠い。改札を出て地下通路を延々と歩く。北京の地下鉄と似ていなくはない。ホテルのセールストーキングには駅すぐそばと書かれていたが、これは地上口からかき直した方が宜しい。大きい荷物を持った旅行者にはここが大事。
国際興業発祥の地区らしく創業者の銅像がある。こじんまりとしたいいホテルだ。古都を守る高さの規制があった時代の建物だが、となりの全日空ホテルは違うのだろうか。こちらはやや高い。何も隣り合わせなくても良さそうなものと思うが。
江戸城が宮城、皇居と改名されたが、京都は御所のままだ。その御所を守るという名目であるのが二条城。実態はその逆で天皇家を人質にしたための監視機能。日本の政治のダブルスタンダードは古くからある。さまざまな政治家が天皇家を利用してきた。いまもそう。
いずれにしても、古都にいるといる場所、泊まる場所によって感慨がかわる。歴史のレイヤーの上にることがしみじみと分かる。
夕食は中心地まで歩いてみて探した。寺町まで徒歩25分くらいだろうか。地下鉄で乗り換えをして二駅。つまり一駅ずつ乗る、これが不便。したがって帰りはタクシーになってしまう。
早朝近所を歩く。見知らぬ地区の、観光地ではない地区の商店街。そんな中にも朝からやっている喫茶店があるものだ。店主と建物そろって老朽化した喫茶店。古都ならではの店。錦通りにはない風情のある商店街だった。

京都国際ホテル
http://www.kyoto-kokusai.com

ホテルグランビア京都

JTBという旅行業者がある。正式には株式会社。かつては交通公社と呼ばれ、準国営企業だった。この公社の出発は国策によった。南満州鉄道鉄道省、帝国ホテルといった国有組織が出資して作っている。目的は新大陸への日本国民の移動のため。もう少し正確に言えば侵略の補助のため、ということだろう。直営のホテルが「ミヤコホテル」である。半島、大陸にいくつかのホテルを持った。高級ホテルである。現在でもハンヨウや大連に建物そのものは残っているそうである。
今日のJRの経営するホテルのDNAにはこういったものが入っている。グレードによってホテルの名前を変えているので分かりにくいが、駅直近なのでまあわかりやすい。
この「グランビィア」は最高位の名称ではないのか。古都京都駅を睥睨する。駅に接しているので建物は平面的一方向の移動が強いられる。下層階は飲食店や、店舗などで占められている。中層階から、上層階が客室となっている。シティビューはもちろん古都を眼下に見渡せる。まあ自己本位な建物である。このホテルによって京都の景観が台無しになった。見ることは、すなわち見られることでもあるといった哲学的な思考を持たなくとも誰でも分かる。まあ誰でも分かっていることを大げさに表現するのが哲学でもあるが。
清潔で、京都を代表するホテルであろう。ただ駅のホテルはそれなりの不便さがともなう。多くの駅は町中に建てられていないのだ。先斗町からは飲んでしまえばタクシーになってしまうのが欠点である。バーからの伏見城の眺望は歴史の重みを感ずる。

ホテルグランビア京都
http://www.granvia-kyoto.co.jp/index.html

雲見温泉「又五郎」

福永武彦に「海市」という小説があった。蜃気楼を見にいく絵描きが雲見で素晴らしい女性と出会うというところから話は始まる。海市とは蜃気楼のことである。かつては絵描きがよく出かけたところが雲見でもある。
さらにその昔は秘境であり、陸路からの接近はできなかった。したがって、流刑地として多くの政治家や宗教家達が流されたところでもある。
いまでも東京から一番行きにくい伊豆ではなかろうか。
そんなところに行ってみた。
温泉民宿「又五郎」。海に面した小さい入江にその集落はある。入江の海からの入り口に防潮堤がある。ちいさな漁師の集落である。人口は何人なのだろう。百人はいるのだろうか。小学校はなくスクールバスがくると聞いた。
民宿はすべて漁師によって営まれているのだろう。そして温泉も湧泉する。塩分の強い湯質である。湯量も少ない。加温もしている。だから湯船も小さい。悲しくなるような集落だ。
しかし、食材は豊富だ。伊勢エビ、鮑、栄螺、季節により鯛、鮃、金目鯛、魴鮄、カナガシラといった上質な魚類が捕れるところだ。だからこういったところにも人は住み着いたのだろう。
食事は海産物の百貨店だ。さまざまな海産物が並ぶ。魚好きにはこたえられまい。
朝から、大きな煮魚が供される。しかし鮮度の良すぎる魚には煮魚は味付けが難しい。とにかくこうやって海産物を朝夕と供されると、植物に対する嗜好が刺激されてしまうのはなぜなのだろうか。

雲見温泉又五郎
http://www.matagoro.com

番外編 松本「ホテルアルモニービアン」

温泉ではないので番外編となる。
古い町にある古い建物を使ってできた新しい瀟洒な宿舎。こじゃれたホテル。松本城に向かう大通りにある。元の銀行の建物をそのまま使う。かつての銀行のロビーは結婚式場になっている。天井が高く居心地がいい。音が「よくひびく」。
ホテルの内装はどなたかのデザイナーにお願いしたのだろう。そつなくまとめてあり、決して安直ではない。得てしてこういったホテルのデザインは安っぽくなってしまうものなのだ。ただ、ビジネスホテルといったほうがいい設備になっている。まあそれは料金にも現れている。松本の中心部にあってまわりには多くの飲食店がある。町中のホテルの楽しみで、散歩しつつ飲食店を探す。歩いてすぐの古い商店を改造した和食屋に行く。ここも内外装ともに洗練されており、料理もなかなかだった。フレンチもできるらしいが別棟だったので詳細は分からない。
件のホテルの朝食はなかなかよい。信州らしいものがふんだんに使われ、ブッフェではあるが楽しい。美味な信州ハムが供された。従業員の施設への愛が感じられそれが居心地の良さを倍加させる。部屋は狭いのだが机や調度品が優れており、使いやすい。
古都松本は侮れない。

松本「ホテルアルモニービアン」
http://www.harmoniebien.com

八塩温泉「神水館」

昔は格式のある旅館だったのだろう。リニューアルしたとはいえ、太いケヤキの柱が構造材になっており、聞けば庭の対岸も借景のために旅館で購入してあるそうだ。ちなみにここは群馬と埼玉の県境である。川の向こうの借景は埼玉県になる。クルマではきやすいところだ。電車だと来にくいのだろう。「秘湯の会」だ。いい旅館である。木造建造物のよさがあるし、主人もそれを理解している。
風呂は良質。露天もある。
食事は食事処の個室で供される。蒟蒻、川魚の塩焼き、など山の宿のメニューが並ぶ。赤出しの味噌汁が美味。あとで近隣の味噌屋に聞けばこのあたりは古くから赤出し味噌が造られていたとか。その理由はよくわからなった。地方には不思議なことが多い。お土産に買っていったのはいうまでもない。

八塩温泉「神水館」

番外編 「ホテル日航新潟」

佐渡は最大の流刑地だ。流人はいつ帰れるかも分からずその島での最低の階級を過ごす。多くの政治犯が過ごしている。その佐渡にわたるには佐渡汽船を使う。その発着場の脇にある高層ビルが今日の宿屋だ。新しく気持ちがよい。高層階と頼んだが、角の広い部屋にしてくれた。こういった配慮は旅に好印象をもたせるものだ。眼下に汽船の発着が見える。信濃川の中州になる。
となりには漁協の経営する大きな食材販売所がある。魚、肉、野菜、食堂とすべてのものが揃っている。こういった販売所があるのが地方の人の幸せを生む。もうデパートで買い物をする時代は終わった。それを地方の人は理解している。鮮度のいい豊富な食材を見るとそのことがよく分かる。クルマを使った移動での楽しみはこういった食材を手に入れることだ。今はどこに行ってもトロ箱と保冷剤をくれる。
戊辰戦争での敗者は駅が中心部から離れたところにある。ここ新潟もそうだ。ホテルから15分くらいは歩くのだろうか。駅前の飲食店を彷徨する。
朝食はブッフェだが、栃尾の油揚げへぎ蕎麦、地魚の干物などがさりげなく取り揃えられられており、チェインホテルにしてはよく勉強している。そのせいで朝から食べ過ぎてしまった。

ホテル日航新潟」
http://www.hotelnikkoniigata.jp